1960年代
上を向いて歩こう(坂本九)
「上を向いて歩こう」は、坂本九の代表曲。作詞は永六輔、作曲は中村八大で、もともと1960年に開催された中村八大のリサイタルのために制作した楽曲だったが、1961年10月に坂本九のシングル曲としてレコーディングされて大ヒットすることになる。
さらに、1963年「スキヤキ」のタイトルで全米ビルボード誌とキャッシュ・ボックス誌の第一位に輝き、世界的大ヒットになった。アメリカでナンバーワンになることは、大リーグで活躍している松井秀樹が、大リーグに移籍したとしにホームラン王をとるようなもので前人未到の驚異的なことなのである。後にも先にもこの曲をおいて他にはない。
さらに、日本の楽曲をアメリカのアーチストが歌ってヒットしたのではなく、日本人の坂本九が歌ってヒットチャートのトップになったことが、信じられないほどの快挙なのである。
坂本九の歌い方は、「上を向いて歩こう・・・」ではなく、「ウヘィホォウ ムフゥイテェエ・・・」(文字で書くと難しい…)と独特な歌い方、もしかしたらその歌い方が受け入れられたのかもしれない。いまでも、その歌声が鮮明に記憶に残っている。
その他、「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」「レット・キス」など、どれも名作ばかりである。
高校3年生(舟木一夫)
1960年代¦コメントは受け付けていません。
「赤い夕日が校舎をそめて ニレの木陰に弾む声・・・」と詰襟の学士服で歌う舟木一夫、この歌を聞くと中学時代の修学旅行で初めてマイクを握って歌ったのを思い出す。クラスの女の子に淡い恋心を抱いたいたこともあり、その子の前で歌うのだからドキドキと胸が高鳴った。中学生で歌詞の内容は理解できない部分もあったかもしれないが、舟木一夫の姿と歌の歌詞を自分に置き換えていたような...。
まだまだ純情で女性に淡い恋心を抱いたばかりの中学生には、舟木一夫の歌に託して思いを伝えることしか出来なったのである。
舟木一夫はこの「高校3年生」でデビューし、「修学旅行」「学園広場」と数カ月おきにヒットを飛ばし、青春歌謡の地位を不動のものにしたのである。青春歌謡とといえば、その時代を代表する舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦の3人を称して「御三家」と呼んだ。この3人は青春歌謡を歌うスターとして圧倒的な人気を誇ったが、その中でも舟木一夫が突出した存在だった。
だが、青春歌謡のスターたちも、やがてGS(グループサウンズ)時代の到来とともに第一線から消えていく。
恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)
「恋のバカンス」はわかりやすいメロディに覚えやすい詩、アレンジもかっこよく誰でもが知っているカラオケのスタンダード曲の一つです。
双子歌手の草分け的存在のザ・ピーナッツ。ノースリーブでウェストがキュッと締まったアメリカンスタイルで歌う二人の歌声は、美しく暖かく、抜群のハーモニーであった。伊藤エミ、ユミのデュエットは双子のなせる業なのか、本当に息がピッタリで、何と心地よいことか。
その後、多くの双子の歌手がデビューしたけど、ザ・ピーナッツ以上の才能を感じる歌手は現れていないだろう。私自身がそうであるように、今も数多くのファンがいて、彼女たちの歌声を愛し続けている。
「恋のバカンス」はザ・ピーナッツの曲の中でも私の大好きと理由で勝手に選んだのであるが、後々沢山のアーティストによりカバーされていることからしてもり名曲に違いない。
その他、ザ・ピーナッツには「恋のバカンス」の他、「恋のフーガ」「ウナ・セラ・ディ東京」「ふりむかないで」「 情熱の花」「銀色の道」など、多くのヒット曲がある。
君といつまでも(加山雄三)
中学へ進学したころ、ベンチャーズやビートルズのエレキサウンドに酔いしれていた。自分の家も同じであるが、エレキギターを買ってもらえるほどの余裕のある家庭はほとんど無い時代、ラジオから流れるエレキサウンドに合わせて今で言うエアーギターを弾いていた。
それでもギターを弾けるようになりたくて、ガットギターならと親を騙して手に入れて、ベンチャーズの曲を毎日練習したものである。
そんなとき、ブラウン管にエレキギターのサウンドと斬新なメロディ、そして歌声。加山雄三がギターを抱え、ランチャーズと一緒に登場したのである。そして、映画「エレキの若大将」の主題歌の「君といつまでも」が大ヒット。いっきに若大将ブームが巻き起こった。
記憶では、「エレキの若大将」は正月に公開されたと思うが、同級生と一緒にワクワクしながら映画館へ出かけていった。当時の中学生を感動させるには充分、映画館を出た後も感動に浸っていた。
「君といつまでも」は当時300万枚を超える大ヒットを記録したのであるが、残念ながらレコード大賞は他の曲に譲った。しかし、加山雄三は俳優として現在も第一線で活躍している。この曲を抜きにして彼を語れないし、「幸せだなあー、僕は君といる時がいちばん幸せなんだ」という間奏のセリフを言う時の、はにかんで鼻をこするシーンは脳裏に焼きついている。
「君といつまでも」の他、「夜空の星」「夕陽は赤く」「青い星くず」「夜空を仰いで」「旅人よ」など多数のヒット曲がある。
これらの曲は、弾厚作というペンネームで自身で作曲している。加山雄三は、後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在でもある。
ブルー・シャトウ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
ブルー・シャトウといえば、「森トンカツ、泉ニンニク・・・・」の替え歌が頭の中に蘇る。誰が作ったのか分からないが、当時は全国で流行したのではなかろうか。なんの意味も無い替え歌が、いまだに歌えるのだ。
ブルー・シャトウは、150万枚のレコード売り上げを記録し、第9回日本レコード大賞を受賞した。当時はGS(グループサウンズ)の時代で、ブルー・コメッツの他、タイガース、スパイダース、ワイルドワンズ等が人気だった。ほとんどのGSグループが長髪なのに対して、ブルーコメッツだけはサラリーマンのような七三分けとスーツ姿での演奏だった。そのため、当時は若者は長髪がかっこいいと思っていたようで、タイガースなどの長髪のグループが人気があった。
でも、ブルー・シャトウはグループの人気とは別に大ヒットすることになる。ブルー・シャトウは同年暮れのレコード大賞を受賞するとともに、ブルー・コメッツは紅白歌合戦に出場することになる。当時、人気のあったタイガースやスパイダースは落選し、落選の原因が長髪だと噂されちょっとした騒ぎになった。
ブルー・シャトウを作曲した井上忠夫(後の井上大輔)がフルートを脇に抱え歌う姿は、自分は今でもかっこいいと思う。その後、井上大輔として作曲家へ転向して「ランナウェイ」や「め組の人」などの膨大なヒット曲を世に出し、自ら死を選びこの世を去った。
なつかしの曲がテレビで放映されると必ずといっていいほど、ブルー・シャトウは登場する。そして、「森トンカツ、泉ニンニク・・・」の替え歌が浮かぶ。それほど誰もの耳に届いている昭和のスタンダードである。
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君だけに愛を(ザ・タイガース)
「君だけに愛を」を聞くとジュリーこと沢田研二が、スポットライトの中で「オー プリーズ・・・」と歌いはじめるシーンと、客席のファンに向かって指を指すポーズが蘇ってくる。
ブルー・コメッツがレコード大賞を取った翌年になるが、タイガースとテンプターズが若い女性の人気を二分していた。メインボーカルのジュリー(沢田研二)派とショーケン(萩原健一)派に分かれていたのである。
ジュリーは魅惑的な大きな瞳に端整かつ甘美なルックスで、「君だけに・・・」と客席を指差すと、コンサートでは失神者が続出したらしい。それほどGSの人気は過熱した時代だった。
タイガースのメンバーは他に、トッポ(加橋かつみ)、サリー(岸部一徳)、タロー(森本太郎)、ピー(瞳みのる)、後にトッポの脱退で加わったシロー(岸部シロー)。
「君だけに愛を」は、オリコンではBEST20に初登場し、翌週には一気に2位に上昇したが、「帰ってきたヨッパライ」の異常とも言えるヒットのため1位になることはなかった。同じ年にザ・タイガースは「花の首飾り/銀河のロマンス」・「シー・シー・シー」を発表しオリコン1位獲得、このあたりが絶頂期といえるだろう。
しかし、嫁さんによれば、ジュリーはソロで「勝手にしやがれ」を歌った時代が一番かっこいいらしい(笑)
恋の季節(ピンキーとキラーズ)
♪忘れられないの あの人が好きよ♪このフレーズだけで、ピンキーこと今陽子が山高帽と黒いパンタロンスーツで歌う姿が思い出される。
ピンキーは歌唱力抜群で伸びのあるアルト、キラーズこと男性4人組の低音のコーラス、一度聞いたら覚えてしまうメロディ。昭和の名曲であることは間違いない。
ただ、♪夜明けのコーヒー 二人で飲もうと♪の歌詞は、当時高校生だった私にとって意味深な歌詞だった。当時、地方都市にいや都会にも24時間営業のコーヒーショップなど無かった(地方にもコーヒーショップはありました)時代、何処でコーヒーを飲むんだろうなんで想像したりしたものである。
この「恋の季節」は、爆発的な大ヒットでオリコン17週間1位(歴代最高記録)を記録し、240万枚をセールスした。そして、その年のレコード大賞新人賞など、数々の新人賞を受賞し、紅白歌合戦にもグループで出場する。
ちなみに、男女のグループとしての紅白歌合戦へ出場した最初のグループだったらしい。
その後のピンキーとキラーズは、「涙の季節」「七色のしあわせ」というヒット曲を出し、「青春にとび出せ!」というドラマにも主演したのである。
ブルーライト横浜(いしだあゆみ)
『ブルー・ライト・ヨコハマ』といえば、私が記憶しているのは、ショートカットでミニのワンピースのいしだあゆみ。「まっちンのあかりンが、とてもきれいねェー・・・」と独特のわずか鼻声でうたういしだあゆみ。田舎で思春期の自分には、都会の横浜を歌ういしだあゆみは、あこがれの女性的存在だった。
『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒットし、150万枚の売り上げを記録した「いしだあゆみ」の代表曲である。この曲のヒットの後、NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場を果たした。
その後は女優に専念。日本アカデミー賞主演女優賞を始め、報知映画賞、ブルーリボン賞等、数々の賞を受賞して今も活躍を続けている。
この『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、いろんな人がカバーしているが、NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」挿入歌として上原多香子のカバーが一番気に入っている。また、横浜をテーマにした歌謡曲の草分け的曲で、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のヒットのあと、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」などが次々にヒットした。そして、横浜のご当地ソングの定番でもある。
夜明けのスキャット(由紀さおり)
当時は受験勉強の真っ只中、「夜明けのスキャット」がラジオから流れてきたとき「な、なんだ?」と思った記憶がある。曲の大半が「ルー、ルル、ルー」というスキャットで歌われるが、この曲で初めてスキャットなる言葉を聴いたと思う。
歌詞がない理由を後にもともと深夜番組のBGMで使われていたためと聞いたことがある。それで、深夜のラジオで聞いた記憶の理由も分かった。
「夜明けのスキャット」は、1969年のヒットチャートで第1位に輝くことになる。そして、150万枚のミリオンセラーを記録した。
この年は、テレビでも由紀さおりの「夜明けのスキャット」が流れ、このスキャットが何とも心地よくスキャットの清廉さと青春時代の恋の甘酸っぱさが重なった記憶にのこる曲になったのである。
由紀さおりは歌唱力のある実力派歌手であったが、当時の人気番組『8時だョ!全員集合』でもタレントとしての才能を遺憾なく発揮した。今もバラエティ番組で笑いを取るシーンを見たりする。
現在は、姉の安田祥子と一緒に、日本を代表する童謡歌手として活躍している。童謡や愛唱歌をより沢山の人に聴いてもらいたいと願い、国内及び海外においても公演活動を行っている。由紀さおり・安田祥子姉妹の抜群の歌唱力/ハーモニーは国境も世代も越え、幅広い層から支持を得ている。
「夜明けのスキャット」のほか「手紙」「生きがい」「故郷」などのヒット曲があり、彼女の歌声は聞く人に清涼感を与えてくれる。



